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空翔る鶴と芙蓉の嶺
ブログ紹介
 大正生まれの、ある信念を持った父ー美濃部正と、惚れ込んで子供達より夫を生涯大事にした母ー篤子に育てられ、昭和30年代40年代に教育を受け、両親の信念と学校や世間の空気の違いに戸惑い、逃れるようにというか社会学系より自然を語るときの父母の目の方が当時の私は好きで、自然科学(?)というか動物の世界に憧れ学び、紆余曲折を経て、今は我が道を歩んでいます。         
 高度経済成長期、バブルに浮かれた時期、そしてデフレ、様々な周辺諸国との問題などを経験してみて、やっと両親の信念を心から理解できるようになりました。                             
 太平洋戦争の激戦さなかの日記を元にした「大正っこの太平洋戦記」ー非売の本(関係者と全てを理解出来る方及び伝えなければいけない機関のみに寄贈してあります。)から差し障りのなさそうな所を中心にして、命と魂のバトンを受け継いだ者として、未来の「美しい国ー日本」とは、今、私達がどうすれば良いのか一つの参考になればと思います。                     
 
 「大正っこー」なんて、妙なタイトルを付けたなと思いましたが、ここに重大な想いと意味があることに、父の没後、母を近くに呼んでの生活の折々や出版作業中に気づきました。
  
    まとまり次第に少しずつ公開する予定です。

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「大正っ子の太平洋戦記」の復刻が決まりました!  その2

2017/05/30 19:36
やっと あとがきも送りました。 編集の方が 長すぎた私の原稿を削る事無く一つ活字を小さくして全部納めて下さいました。素人なので、読み難いでしょうがこの20年の思いを込めたつもりです。お高い(6400+税)ので求め難かったらどうかお近くの図書館に購入依頼していただけないでしょうか。私も高い本は良く図書館に依頼します。それで、心に残る本はやっぱり手元に置きたくて購入するのです。9日に拙宅に出来上がったのを持ってきてくださるそうです。(どきどき。。。)  16日発売とか  よろしく。
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「大正っ子の太平洋戦記」の復刻が決まりました!

2017/05/28 13:36
長い間、このブログを更新しなくで本当に本当に申し訳ございません!! 
 ずっと気にはなっていたのですが文才も無いし、自分の親の事なのでガラにも無く気恥かしくて書く事が出来ませんでした。
ところが、アラ環を超え、子供も社会人になって、これで、もう人生の最低限の役目を終えたと思っていたら、まだ、遣り残している事があることに気付きました。
その上、夏になると取材が度々あり、昨年はノンフィクションの本も出ました。未だほかにもご依頼があります。皆様好意的でとてもありがたく、ネットでもたくさん取り上げられ、なんと「美濃部正」と名乗っていらっしゃる方までいるのには、正直驚きました。
これは、気をつけないと間違った方向に行くかもしれないと恐れました。
無精者の私は自分のお尻を叩く事より、あの世とやらでのんびり遊んでる父を呼ぶ事を考えました。
で、いよいよ、6月16日 方丈社さんから復刻再販されます。
編集の方はじめ会社の決定で恐ろしく豪華です
。いま、あとがきを考えています。編集者さんに教えて頂いてたどたどしく書いて、明日最終稿です。
ここまで来る間に本当にたくさんの方々に愛された事をありがたく思います。
ただ、これは私ごときが申し上げるのは、おこがましいのですが、「美濃部正」を漫画や物語のヒーローみたいに思わないで下さい。
多くの先輩、友人、知人がかげで日向で支えてくれたから出来た事で、批判される事の多い方々も、ある意味最後の希望を託して父の考えを陰から支えたと私は思います。

また、落ち着きましたら雑文として書かせていただきます。なお、ブログというものが良く分からなくて、ここにダラダラ書くだけです。あとメッセージとか頂いても一応参考にさせていただきますが、どなたか分からないし、返信がどうなっているのか分かりませんのでお返事できません事をお許し下さい。




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申し訳ございません

2009/04/23 14:15
 せっかくここにたどり着いて続きを期待されてらっしゃる方々に長い間更新しないで大変申し訳ございません。何人かの方に優しく激励して頂いて焦りました。                                          
 ただ、ネットや本や演劇で取り上げている事が、少々本来の父の姿や21世紀に生きる人に託した思いと違って来ていると私個人は思うのです。                                                   
 わざわざ県立図書館や国会図書館の本を読んで下さった方にはお分かりいただけると思いますが、芙蓉部隊の話は稀な幸運の上で成り立った事で、事実はそれに到る前に良いことばかりでなく本人の生涯の心の傷になったこと等色々な思いや事実があったという事。そして芙蓉部隊の後、つまり激動の戦後の生き方をつうじて、国とは、平和とは、また生きるとはーとの考えを伝えたかったと私は思うのです。                                               
 が、海軍の関係の集まりに昨日も行ってきたのですが、当時の関係者ご本人(94歳)は昨今の世相を憂いて問題点として国を思う気持ちが無いと言われましたが、別の関係者の子供や孫の世代の人たちの考えには愕然としました。ちょうど、就職が思うようにならないつらい世代という事で私の愚息も同じ世代なので焦る気持ちはわかります。ただ、こういう時だからこそ、父が生きていたら孫である息子になんと言ってくれるかなー、と思ったり、思い半ばにして確固とした信念のもとに逝った同期の若者たちや父の24の年頃の思いやその母親たちの思いを考えると、愚息にも自分の事の利害で考えずに人として生きる信念を持てと見守るしかありませんね。そして日本人として生まれ生きていくことに誇りを持ってもらいたいと思います。外国を非難する愛国心でなく、自分の家族や先祖を愛して誇りに思うのと同じように過去未来の日本も愛して何か人の役にたつ仕事をして欲しいと思います。                                                                             で、はじめの問題に戻るのですが、このブログの事ですがぼちぼち再開しますが、現在日本が一番頭を悩ます中国問題を考える上でも、20世紀を考える上でも ユンーチアン女史の「ワイルド.スワンー上下」と「マオー上下」をお読みになっていない方は是非読んで見てください。4.5.6.7.8月はちょっと仕事のピークやら行事が多いので悪しからず。
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幻の戦闘部隊「芙蓉隊」ー頑固親父 美濃部正 その2

2007/02/23 11:46
ガキ大将の幼少期

 大正4年 地方の5ヘクタールを持つ中級地主の次男として生まれ、その下の子が次々夭折する中で、虚弱ながらも母親の膝を6歳まで独占して、育つ。
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幻の戦闘部隊「芙蓉隊」ー頑固親父美濃部正 その1

2007/02/22 11:54
  今年は、父が亡くなって大好きな大空に鶴となって飛び立って10年になります。2−3年前から、雑誌、テレビ、演劇等でも、「太平洋戦争中に特攻作戦に命をかけて異議を唱えた男」ということで取り上げて頂いて、昭和史の中で語られる事が多くなりました。ネットの中で取り上げて頂いている事も多々あり、みなさまの想いに感謝いたします。                
 
 本人がかつて、あまり語らなかったのは、この戦後の何十年かは、人々の価値観が大きく変わり、故郷や肉親を、そして芙蓉の嶺の美しさを守る気持ちで、国の困難の際は、闘いもやむなしという決意で、自ら進んで軍人になり青春を捧げた、若者達の純粋な気持ちを理解して頂くのは困難でした。まだまだ、身内の方を戦いで、または戦火の中で亡くしたりした記憶が濃く、何はあれ、生き残った者が自ら語る時代ではなかったのです。                                               
 
 しかし、戦後の美濃部正は、講和条約締結後の独立国としての日本の専守防衛を任務とする仕事の上では、同じ過ち(作戦や運用上で)を繰り返してはいけないと、発足当初から諸先輩方と共に育てた航空自衛隊で、若手幹部の教育の場では自分で、「幻の戦闘部隊芙蓉隊」という冊子を作って語っていた筈です。 (昭和45年6月 体調の限界により依願退職。  空将)                                         
 
 また理解ある作家の方が昭和40年代50年代は草柳大藏さん、渡辺洋二さん、豊田穣さん、森史朗さん、60年代からは保坂正康さんが取材に見えて雑誌、本等に取り上げて下さっています。                                                 
 新聞でも私の知る限りでは、昭和36年にサンケイで、戦後50年、60年で中日が、テレビでは、戦後40年、50年で静岡第一が、また60年(2005)ではテレビ愛知がドキュメンタリー番組として30分の中にとても良く描いて下さっています。これはテレビ東京系列で全国殆どで放映されたとの報告を担当の方から頂いてます。                          
 また、海外でも取り上げられているらしくて、ロンドンだかパリだかで、向こうの番組で見て初めて知って生き方に興味を持たれた方が、色々調べて自ら脚本を書いて主催する劇団の毎年の演目にすると張り切ってます。        
 昨年夏には、毎週テレビにご出演の田原総一朗さんが、「日本の戦争ー封印された言葉」(アスコム社)の中でも書いて下さっていますが、これはみんな過去に取材された方のお書きになった出版物からの引用で、生前に会って頂いていたら、毎週のテレビの切り口も変わっていたのにと残念です。 多彩なゲストの方々とどのような討論になるのか、想像するだけで楽しくなります。                                                                                                   

 決して「封印」なんかされていません。「封印」していたとしたら、それはマスコミや一部文化人から作られた社会のムードではないでしょうか。                              
 
 太平洋戦争の中での「善」を語ること、ましてや指導者たる士官の、しかも生き残って戦後は、高いプライドを持って自衛官になった者が、価値観の大きな相違の中では、求 られればともかく、自ら、一般社会に向けて話す気持ちには、なれなかったと思います。(プライドが高すぎて、あちらこちらと、多分自身とも衝突しながらの人生だったかもーだから若い時から胃潰瘍、腎炎、二度も胃癌になった?) 。                          
 
 しかし、事実は事実ー多くの純粋な海兵同期生や可愛い部下の方々が、どのような作戦の中で青春を犠牲にしたのか、生き残った者の責務として、また何が、より犠牲を大きくしたかのかを、自分の知る範囲で調査し書き、「戦争」という観点だけではなく、「人間とは」、「組織とは」「国家とは」「平和とは」「安全とは」という命題を、21世紀に生きる人々に考えて頂きたかったのだと思います。                           
  

 戦争当時の日記をもとに、原稿のあらましを癌のため亡くなる4日前まで、自らフロッピーに入れ、自費出版をくれぐれも頼むと言い残された私は、直接の関係者(親族、海兵同期、芙蓉部隊、長年の知人)、特別の機関(航空自衛隊各部隊、陸、海の幹部教育機関、国会図書館、愛知、東京、神奈川、一部新聞社)に贈ったのみです。父を全く知らない人に、しかも相手がどういう考えの人生を送ってきたか分からない人に贈る気持ちにはなれませんでした。 

                               
 母も海軍少将の娘として、また海軍中尉の妻となった身が、戦後の自衛官の妻としては、物心共に苦労を重ねて来ましたし、自らの美濃部家は会津藩士の家系ですので、「勝てば官軍、負ければ賊軍」の想いを何度もしているので、12年間病床の父が、後世の為にと、一心不乱に書き込んだり調べた本を、都合の良い所だけが引用されて、間違った人物像にされたり、関心が無く読み捨てられたり、否定される事を私以上に、畏れていました。                                              
 
 12年前に食道、小腸のそれぞれ一部だけ残し食道から胃ー12指腸まで亡くした生活は、生きているだけ幸せとはいえ、食生活からして想像を絶する程大変でした。老夫婦2人で力を合わせ、娘ばかりしかも皆遠方という状況では、やっかいもかけられないと頑固過ぎるほど気丈な態度の父を、悪くなった足をひきずりつかまりよろけながらも、心を支え続けた母でした。
                                                     
 
 生来病弱な身が、幾多のけがや病、また困難からも、救って頂いた天命に感謝して、せめて、これからの医学の発展を担う若人の為に献体したいと、12年前からの願いで献体し、遺体を荼毘にしたのは、2年後の自費出版記念会兼お別れ会の前でした。                            

 もう一つ一般に公開するのに躊躇するのは、戦争当時の日記が元ですので、内容にとても激烈な言葉や実名での批判があるからです。                                 
 海軍兵学校を出てから憧れのパイロットになり、昭和13−14年から水上偵察機で国連委託統治領の南洋の国々の調査を任務としていたので、開戦後の情勢が悪くなってから、尊敬する上司は、作戦の前線から何故かはずされるは、次ぎの上司は航空の作戦には理解がないはで、自分の考えを再三上層部に進言しているのですが、なかなか取り入れてもらえない、そんな中での文章が元です。                                       

 当事者はそれぞれ、同じ海軍の組織の中(これは、父の自慢かもしれませんが、「戦前の海軍兵学校の人間教育及び卒後の人間関係は戦後のどんな教育機関、組織より優れていて、意見を上下無く戦わせ、お互い切磋琢磨の場であったー詳しくは多くの他の方の書かれていることを参照されたい」と申していました。)と言うことでお許しいただけるでしょう。        
 けれど、もう、父も亡くなって、戦争を知らない世代の私には、実名まで公表する資格もないし、あの体験をしなかった方々も知る必要は無い、と言う気持ちが段々強くなってきました。、ある出版社から出版の依頼がありましたが、この辺の扱いが難しいので一年以上も手間取っている内に、担当の方にお願いして、取りあえず公表を思い止まる事にしました。                           

 しかし、今の時代、これが日本人の民族性なのでしょか、マスコミや文化人が、何か一つをテーマにすると、一気にそちらに流れ、自分で考えて自己責任で動くと言うことをしない、またしないで結果不利益を被った人を、またマスコミは取り上げ、大きな企業、行政の責任にして終わり。個人への厳しいメッセージがなく、個人向けには生活や教育、老後に何がお得か損かの情報やら、楽しむ事、癒す事ばかりで、ある意味では、人々の精神を後ろ向きにしているような気がします。                                                                                
 そんな時に40年前、父と一緒に読んだ獅子文六さんの「海軍」という本をまた読み返しました。真珠湾の特殊潜行艇で亡くなった横山正治少佐をモデルにした小説ですが、ちと、性格が違うようですが父の若いときを思い描いて、その後学生時代ずっと本がボロボロになるまで何回も読みました。 久しぶりに懐かしい人に会った気持ちです。  

 そんな想いでいるときに、つけてあったテレビから「千の風になって」の調べが流れてきて、背筋が震えました。

Do not stand at my grave and weep, I am not there..

I am a thousand winds that blow.

(お墓の中なんかで眠っていないぞ!鶴になって空を翔け、いつだって一緒にいるよ。

   たくましく天の命ずるままに生きなさい。)                            

 
 
 二羽の鶴となった父母や小説の中の谷真人さん、父の大切な同期生の方々が、この青い大空から語りかけているようです。                                  


 それで、私に理解可能な範囲で美濃部正の「大正っこの太平洋戦記」のあらましだけをブログで公開しようと思います。356ページもあり、難解な言葉や漢字が多く、長くなるのか、短くしてしまうか分かりませんが、私のライフワークとして作業を致したいと思います。今に、なってみるとあの頑固親父や谷真人さん、父の同期生の方々が私の大切な子供(かなりの悪ガキで甘えん坊の正と優等生で孝行息子の真人)のように思えてくるのです 。               

  難解な文章や言葉については、本人に文句を言ったのです。「こんな難しい言葉や漢字では理解してもらえない」 と。 本人曰く、「当時の軍人の正しい言葉で、これが理解できない教養では当時の事も理解不能!」??私もそうですが、父にも作文能力が無いのかも、、、、
 

 トラックバックやコメントはネット社会の仕組みがよく分からないので,取りあえず制限してあります。点検してから公開なりお返事しますが、仕事や家事もありますので、どこまで可能かお約束できません。

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